多賀町にある放置機関車D51 1149号機
投稿日 : 2019/10/30
多賀町にある放置機関車 D511149号機
以前、滋賀県の彦根市に仕事で行った時、放置されていた機関車を見つけ見学した事がありました。
今回は、北びわこ号の撮影で米原に向う途中、立ち寄りました。
製造されて70年以上経過かしています。現役時代から動かなくなって42年も経ちます。
1944年8月 太平洋戦争中、川崎車輛兵庫で3月完成
1976年3月 北海道 岩見沢第一機関区で廃車
1976年12月 多賀SLパーク(SLホテル)として営業
1989年9月 SLホテル廃業、
煙室のドビラが開かるかやってみましたが、錆びているのか悪戯防止の為に溶接されている様で開きませんでした。
永年放置されていたことから、一部の心無いマニアから部品類が、はぎとられボロボロの屍をさらし続けています。
3次系の戦時型である特徴的な、かまぼこ型ドーム
デフには、点検用の窓が切り取られています。
盗難にあったのか汽笛も無くなっています。
小樽築港機関区時代に付いていた寒冷地仕様のドーム前のつらら切りは、外されたのか無くなっている。
戦時簡易型船底型デンダー
台車が無く、炭水車の製造が容易になり、低価格が目的です。
デフ内部、メーター類は、盗難にあったのか殆んど無くなっています。
缶の前に付く、蒸気分配機
水位を見る水管は、割れずに健在
焚口の開閉扉も固く閉ざされています。
やはり、ここも追剝ぎの被害にあったようです。
ガラスの無くなった運転席からの前方視界
ひさしがあるだけの窓
この機種には、長いひさしや飛び出た窓ガラス枠は無ありません。
逆転機へつながる長いロッドが伸びる
反対側の機関助手席から前方
ランボード上の四角い箱は、清管剤タンク
戦時には、デフもランボードも木製だった様です。
後付けのATS
トランジスタ、ダイオード、抵抗を組み合わせた初歩的な電子部品、昭和40年代の最終改修
集煙装置や重油タンクといった余分な装備は在りません。
戦時型D51は、納期短縮と制作工数の削減から、缶のリベット数を減らされ安全性と耐久性が低く、戦後缶を新造交換されました。
かまぼこ型ドーム
サンドタンクの蓋はちぎれて無くなり、岩見沢機関区?で補充された砂が、一杯詰まっています。
発電機は、台座の上から奇麗に無くなっていますいます。
日本の大変な戦時中に製造された為、満足な装備も資材を制限された未熟児的機関車
グラマンF6FやロッキードP51の機関銃掃射に‘追い回され、それでも必勝を信じて走り続けました。
戦後は、復興と高度経済成長に貢献し北の大地で終焉を迎えた栄光の機関車、
余生はこの場所で、客車を利用しホテルの宿泊客、子供達を楽しませるはずだったのに…..
数奇な運命を持つD511149号機
今は、誰からも見向きもされず残骸の様に朽ち果てていく哀れな機関車…
レストアベース車もしくは、部品どり車として活用出来ないでしょうか。
一刻も早い動態復活が望られます。
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